オアシス 閉校 東禅寺 四国旅  大隈先生   船木峡  桂田邸  醍醐桜  東北  釣り                                                













「びっくり東北春の舞」3日間         2005年4月18日・19日・20日

阪急交通社の「びっくり東北春の舞」なる旅行に行ってきました。本当にビックリ仰天!
広島では、桜の花が散ってしまったところもありますが、宮城県では今が旬、山形県ではツボミでした。
羽田空港から観光バスで三日間の走行距離が1400Km、疲れましたが楽しい旅でした。
バスの中は「姥桜」ばかりでしたが、満開の花を見て満足!満足!

日程

1日目 広島空港 → 羽田空港 → 日本三大桜の「三春の桜」(福島県) → 立石寺(山形県) → 天童将棋の駒工房 → 蔵王温泉
     蔵王温泉は、正真正銘の源泉の湯。いかにも温泉!と言わんばかりの硫黄の匂い、白くにごった湯、24時間たれ流しの湯。
     今までの中で、トップレベルである。

私の選んだ温泉ベスト3  1、蔵王温泉(山形県)   2、別所温泉(長野県)     3、俵山温泉(山口県)
(まだ知らない温泉の方がはるかに多いので、参考にはならない)

2日目 蔵王温泉 → 釜の越桜 → 烏帽子山千本桜 → 船岡城址公園の桜(宮城県) → 塩釜神社の桜 → 松島 → 磐梯はやま温泉

3日目 磐梯はやま温泉(福島県) → 五色沼 → 会津・鶴ヶ城跡 → 飯盛山 → 猪苗代湖 → 羽田空港 → 広島空港

この一本の老木を見るために、全国各地からたくさんの人が集まる。(三春の桜) 立石寺には、1100年燃え続ける法灯がある
釜の越桜(樹齢800年、エドヒガン) 派手やかな、烏帽子山公園の桜 塩釜神社
戊辰戦争で有名な会津・鶴ヶ城 修学旅行生が赤べこを作成 バスから見た老木、後に雪山が見える


醍醐サクラと千鳥別尺のヤマザクラ   2005年4月14日

パッと咲いてパッと散る潔さ、日本人の心を揺り動かし、ヤマありシダレあり、一重あり八重もあり、ピンクあり白もある、サクラのすばらしさを再認識しました。
樹高18m、根周り9.2m、枝だ張り東西・南北それぞれが20mという堂々たる樹形は全国でも5指に入るサクラの木を見に行ってきました。
その名を「醍醐のサクラ」と言います。
丁度満開、駐車場は近くにもあるが、せっかくなので3Km下の駐車場に車をおいて、地域の皆さんが用意してくださった杖を突きながら、山道を40分ほど歩きました。
それが正解! 私の車を追い抜いて上の駐車場を目指した車は、駐車場に入るまでに1時間以上経過、ザマーミロ!
それにしても、丘の上に堂々たる姿の「醍醐サクラ」、樹齢1000年と言われていますが、すばらしかった。
帰りに、東城町の「千鳥別尺のヤマサクラ」を見に行きましたが、あと10日は必要で26日ごろが見ごろとのことです。

小さな小山のテッペンに、一人さびしく生き続けるエドヒガン桜、今が満開なり! 一度は見に行かれることをお勧めします。
ミツマタも満開、一株300円で買って帰りました
カタクリの花もありました これは広島の最大級の桜でその名を
「千鳥別尺のヤマサクラ」と言います。



桂田先生宅での花見の宴           2005年4月12日

1963年(昭和38年)〜1968年(昭和43年)の間、体育の先生として本郷工業高校で勤務された桂田幸子先生が世話人として、三原・竹原地区の高校で勤務して、年金生活に入っている「退職教職員」が桂田先生の家に集まりました。
桂田邸は、忠海の岩風呂のある見晴らしの良い高台にあります。
「桜を見る会」と銘うって、楽しいひと時を過ごしました。
本郷工業高校の関係者で言えば、国語の高井先生(1970年〜1984年)、家庭科の松岡先生(1981年〜1987年)が参加されました。
その中で、悲しい知らせを聞きました。1970年から1974年まで、社会科の先生として勤務された望月展也先生が今年の初めに亡くなられたことを聞き、ビックリしました。

集まったかっての勇士です。コップは私の陶芸作品です。 桜の花が満開なり
この白魚はどうやって食べるんね? こーやるんよねー 釣りのお師匠さん(高井先生)と仲良く!



船木峡へサイクリング 永福寺瀑雪の滝船木峡・滝見荘跡・桜など) 2005.4.8

いつもは30分ほど家の周りを散歩するのだが、腰が痛くて今日は自転車で遠出した。(自転車にまたがっている時には、痛みはあまり感じないのだ)
第一の目的地は、家から2Kmほど先にある「永福寺」である。
途中、沼田川沿いの桜を見ながら、二人でヨイコラショ ドッコイショ!
私の自転車は12段階変速のサイクリング車、片や連れ合いのはママチャリである。しかも、ペダルをこぐたびに「カシャ、カシャ」と音がする。
途中、「滝見荘」の廃屋があった。昭和40年代に良くお世話になった所です。
育ちの影響か、海の魚より川魚が好きだったので、週に一度は鯉のあらいや鮎の塩焼きなどを食べに行ったものです。
今の若い人にはビックリする事でしょうが、私は車の免許証をもらう時にこんなことを注意されたのです。
「いいですか!ビールなら大瓶一本、日本酒なら2合までですよ。それ以上呑んだら運転してはいけませんよ!」
警察官にですよ。
そうなんです、あの頃は酩酊運転で罰金はありましたが、飲酒運転の罰則はなかったのです。
だからクラブで汗をかいた後、単車を飛ばして船木の滝見荘や川で泳ぐことが出来て鮎を食べさせてくれる所によく行ったものです。
その結果、年一回の回虫検査でいつも引っかかり、糸崎の線路脇にあった国立の病院で処置をしてもらったものです。
その懐かしい「滝見荘」の廃屋がありました。そこから300m先に「瀑雪の滝」があります。

この「滝見荘」二階で良く呑んだものです。その傍にみごとな桜の木が数本あり
沼田川で、この辺を「船木峡」といわれている 瀑雪の滝
川をまたいでいるのは山陽道です 永福寺の本堂 水源地の桜



昭和46年頃の仲間との懇親会(大隈先生の定年退職を祝う会)

 昭和46年ごろ学園紛争の影響であろうか、本郷工業高校も正常な授業ができなくなった時があった。
その頃、西条方面から列車で通勤されていた先生方が、お互いの悩みを話し合いながら一日一日を頑張ってこられました。
その仲間に、私も入れていただいたのです。
年末には、一泊の旅行にも行きました。その仲間とは、国語科の平田先生と橋本先生、社会科の木原先生、英語科の小山先生と大隈先生、そして電気科の倉本先生と私の7人の侍でした。
この度、大隈先生が無事定年退職されましたので、「大隈先生の定年退職を祝う会」を本郷の地で行ないました。
平田先生と木原先生が亡くなられて五人の老侍となりましたが、「Yという生徒がいたよの〜」「玄関のとこに木造の2階建てがあったよのー、・・・」と30数年前に戻りました。

相当できあがっていますね 自作の茶香をどうぞ! 退職祝いに万年筆を贈呈
倉本先生と大隈先生 小山先生と橋本先生 久しぶりに集まりました

小山先生からメールで写真を送っていただき、その写真を使いました。


四国旅(奥道後温泉・書画展・桂浜・・・) 

                                                            2005年3月22日〜24日

ねんねこ子守笛

風が流れる過疎の村       月夜の晩に笛が鳴る     婆さまが心の笛を吹く           太郎は都のひとになり
       花子は嫁ごに行ったきり            爺さまはおととし旅に出て一人ぽっちの旅に出て        ねんねの泣く聲消え果た
            月のきれいな青い村     
都に行くがはおらァ好かん          助け呼ぶがもおらァ好かん


新聞に「千葉の無名画家、香川で個展」(癒やしの書画 700キロつなぐ)とあった。
そして、老婆が笛を吹く絵とともに、この詩が載っていました。
これを作ったのは67歳の薩摩さんです。

薩摩さんは金沢美術卒業後、デザイナーとして活躍。50歳のときに須田剋太の作品に衝撃を受け、「こんな風に人の心を動かしたい」と生活を捨て、借金をしながら生活を続けておられます。

この絵は、千葉の女性が香川の古寺の住職に送ったもの。

近所に60歳ぐらいの男が引っ越してきた。酒におぼれ、荒れ果てた暮らし。元はデザイナーだったが日本画家なりたいのだという。

絵が趣味だった女性は食事を届けるなど世話を焼いてきたが、男は突然、数点の絵を残して姿を消した。

女性は「この絵はお寺にふさわしい」と寺に届けた。絵は、寺を訪れる人の目を引いた。・・・・

この記事を見て、「見に行きたい!」と連れ合いとの気持ちが一致したので、行ってきました。
首が回らないこともあり、温泉にも入ってゆっくりするつもりでイザ出発。
初日の奥道後での入浴は良かったが、次の日から強行軍。愛媛県→香川県→徳島県→高知県(泊)→愛媛県→我が家
道中はほとんどが雨の中、24日の帰りには雪が降ってきた。

疲れました。


太平洋を見つめて立つ「坂本竜馬像」
桂浜で五色の石を拾うがどうしても四色しか集まらず。
赤・白・黒・緑  あとは・・・・・





   

山あいを走っていると、道の駅「大杉」とある。
覗いてみると「日本一の大杉」、推定樹齢3000年、国の特別天然記念物に指定、美空ひばりも「日本一の歌手になれますように・・・・」と願をかけたとか。
見てきました。確かに今まで見た杉の中では一番大きかった。



東禅寺の火渡り                                       2005年3月6日

本郷町南方に「東禅寺」という古寺があります。  (地図を表示
我が家から自転車で約30分、二人で「火渡り」の儀式に参加して来ました。
連れ合いは果敢に挑戦、それも早い段階で火渡りを!
わたしは? 私はほぼ全員が渡り終えたころ、オモムロに裸足になり初挑戦!そうなんです。今まで怖かったのです。
小学生に「熱かった?」と尋ねると、「あつーないで。おっちゃん!」
この一言が、私の闘争心を駆り立てました。二日酔いのだらけた気分を、シャキッとさせてきました。

三人の山伏?により、祈りが上げられ火が点けられる。 まだ赤い火が見えて上を・・・
この人は?  終了後、餅が撒かれました。 地域の皆さんもバザーで盛り上げ



本郷工業高校の卒業式・閉校式・懇親会
               および担任の同窓会

                                                 

2005年3月5日

本郷農学校、本郷高等学校、そして本郷工業高等学校の85年の歴史が閉じられました。

101人の今年度の卒業生、現職員、旧職員、保護者の方々や地元の皆さんなどたくさんの方が参加され、校歌の一節にある「本郷工校、栄誉は永劫」をねがい、閉校式が行われました。

最後の卒業式が行われました 玄関横に、閉校記念碑ができました 閉校式で、校旗が会場から退場
懇親会の始めは、吟詠と演舞 大下・渡邊・倉本・吉田のみなさん 原田・奥島・野村のみなさん
尾谷・藤井・林のみなさん 永井・奥島・松岡・十楽のみなさん 岡野・児玉・朝日南のみなさん
藤田・田口現校長・松脇・出海のみなさん 宮田・森田・松本・田中のみなさん
奥に小林先生が・・・・
新宅君の姿も見られます
永谷・吉川・田村・坪井・宮田・行年のみなさん
(小山先生から写真をいただきました)
野村先生とカンパイ!
先生は今も現役(大和高校)だそうです
玄関前で記念撮影
出海・宮田・藤井・鳩野・吉川・岡の各先生
宴のシメはやはりこの人
桶東先生の居合いです
我が家で2次会をしました。
田中・桶東・奥島・福永・林の皆さんです
福永先生とは十何年ぶりか?
林先生は尾道北、福永先生は呉工業で勤務

お詫び! 少々呑みすぎたのか、カメラブレが見られます。申し訳ありませんが、少し目を細めて見ていただきたいと思います。




岐阜城・橿森(こうもり)神社

長女がお産のため、連れ合いにくっ付いて岐阜の地にやってきた。
二人の孫と遊びながら、のんびりと・・・・・ しかし現実は・・・・・・
今日は婿殿の自転車を借りて、岐阜城まで来て見た。天守閣から見る風景は絶景である。
あたかも斎藤道三か織田信長になったような気分である。
行く途中で、信長が開いたとされる「楽市楽座」のところを見学する。

岐阜市内の何処からでも見ることが出来る。
名を金華山(きんかざん)という。
標高329メートル。
全体が、手つかずの原始林である。
そして、山頂には岐阜城がそびえ立つ。
麓には、岐阜公園がある。

山頂には登るには、いくつかの登山道がある。
しかし私は楽をしてロープウェーで・・・・・

ロープウェーの窓からは、岐阜市内を流れる長良川が眼下に見えた。
今度来たときには、降りるときでも登山道をゆっくりと歩いてみたい。(約40分〜50分)

木下藤吉郎は、蜂須賀小六などわずか七名の部下を従えて、当時の稲葉城に潜入。
薪小屋に火を放って手柄を立てた。

藤吉郎は、槍先に腰にぶら下げていたヒョウタンを結びつけて、大声をあげながら振り回したそうです。
それ以来、千成瓢箪発祥の地といわれています。

私は高所恐怖症なので、その岩場のそばでストップ。
とても立つことすら出来ませんでした。
稲葉山(金華山)は、かって「一石山」と呼ばれたように金山が一つの岩の塊で成り立っている。
その山頂に天守閣を構えた岐阜城は、頑丈な戦いに強いお城であった。
しかし唯一つの弱点は、飲み水の確保が非常に困難であったことだ。
それでは、飲み水はどのようにして確保したか?
雨水と岩の間からわずかにしみでてくる水を溜める井戸を岩を削って作られているのです。
このような井戸が、4ヶ所ありました。
特に写真の井戸は、軍用井戸で「本丸井戸」と名づけられたいたそうです。

岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われていました。
戦国時代には「国盗り物語」の斎藤道三や織田信長がこの城で、天下統一の野望を膨らませていたのです。
しかし、1600年関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長の孫秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城しました。
現在の城は、昭和31年に復興され、鉄筋コンクリート造り3層4階構造で、岐阜市のシンボルとなっています。
展望台からは眼下に清流長良川、東には恵那山や木曽御岳山、北には乗鞍・日本アルプスが連なり、西には伊吹山・養老山脈、南には伊勢湾などが連なる壮大な眺望を楽しむことができます。

この川が長良川、左奥に長良川球場が見えます

名古屋の方を向いています。遠くに木曽川が・・・

橿森神社
家庭円満、縁結び、学業成就、安産などで知られています。
織田信長が岐阜城在城の折、この付近で楽市楽座をひらいたそうです。

楽市楽座とは?
戦国大名たちが自領の都市の繁栄をはかるために、これまで特権商人に独占されていた市場の制度を停廃して、商人が自由に出入し、自由に営業できる仕組みに改めたこと。
日本一(13.7mの高さ)の乾漆大仏がある正法寺 若き日の織田信長の銅像 板垣退助が殺害されたのがここの地




  河川環境楽園(オアシスパーク) 2005年1月22日

東京方面に名神高速道路を走ることがあったら、是非とも寄ってください。大人も子どもも楽しい一時を過ごせます。
一宮ジャンクションから東海北陸自動車道に乗って、一宮木曽川ICから約20分、そこに川島PAがあります。
木曽川の河川敷に大きな公園があるのです。入場料は無料、一般道からも入れます。
「さかなの遊具」といって、すべり台やブランコがあり小さい子どもは喜んで遊びます。
お金が必要ですが、大観覧車や日本最大級の淡水魚水族館も(入館料金が高いのが問題ではあるが)あります。


退職教職員のつり大会   2005年6月27日(水) 参加者14名

広島県の県立高校の教員を定年退職した仲間が、年一回の親睦釣り大会。
今日は、三原・竹原地区の退職者14名が参加しました。
6時40分の高速フェリーが濃霧のため欠航、前途多難な中8時前の船に乗船。大崎上島より漁船二隻に分かれて乗船して、いざ勝負!。
釣れました。ツレマシタ! 「ヒョコタン」といわれる最近急に増えた外来種。ギザミの一種なのですが、あまり評判は良くない魚です。
しかし、唐揚げで食べるとそこそこ美味いのです。
私はタコを釣り上げました。まさに雑巾を釣り上げた感じです。あとはギザミ、ホゴ、アイナメも釣れました。

参考のために!
 ヒョコタンというのはギダ(ベラ、ギザミ)の仲間で標準名はササノハベラと言うようです。
 体の表面がぬるぬるして鱗をとるのが大変ですが、結構うまい魚で岩場にいます。

 図鑑によると広島あたりではヒョコタンはヒョウタンキザミというそうです。
本郷工業高校関係者は、数学の大本先生、国語の高井先生、電気の奥島先生、そして私の4人でした。





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