月照寺 (浄土宗・島根県松江市外中原町179

月照寺は市街地の西境にあるお寺で、江戸時代に松江藩主である松平家の菩提寺として建立されました。

松江藩は江戸時代当初は堀尾家の領地でしたが、領主の早死により3代で血筋が途絶え、その後赴任した京極家も1代で断絶、最後に家康の孫である松平直政の領地となりました。

松平家は明治時代まで10代続き、初代から9代までの墓が、この月照寺に残っています。

小泉八雲は「出雲再訪」の中で「私は日本中でこれほどロマンティックな菩提寺を見たことがない」と語っています。

宝物館には代々の藩主たちが寄進したゆかりの遺品も展示されています。また境内には江戸時代、松江藩のお抱え力士で優勝25回、勝率9割6分を誇った雷電為右衛門の顕彰碑もあります。

月照寺の入り口です。 お墓の入り口から松江城が見える。 ご住職による説明を受ける。
 
静寂な境内、 6月中旬にはアジサイの花が咲きほこるそうです。
この亀は夜になると暴れ出したので、大きな石碑を背中に乗せて押さえつけてあるのだそうです。
その話は小泉八雲の随筆に載っているそうなのですが、私は読んだことがありません。

番外編(鯛めし・堀川めぐり)

鯛めし 

 鞆の浦の鯛めしは、塩焼きした鯛をほぐしてご飯と混ぜたものです。
 釣りに行ったときに船頭さんが作ってくれる鯛めしは、タイの切り身を入れて炊いたご飯ですが、ここの鯛めしは「タイ茶漬け」と言ったほうが良い。

 ご飯の上に、鯛のそぼろ・玉子の白身と黄身・おろしダイコン・海苔・山葵をいれて、だし汁をたっぷりとかけて、お茶漬けのようにして食べます。

 由来は、7代藩主の不昧(ふまい)公が「汁かけご飯」が好きで、「鯛めし」と命名して賓客に勧めたそうです。

堀川めぐり 


 松江城の周りを中心に栄えてきた松江市は、お城を囲むすべての堀川は松江城築城の時に造られたそうです。
(お城の周りのお堀がすべて残っているのは、珍しいそうです)

 堀川は、松江城や城下町を守ると共に、物資の輸送や人々の往来、生活用水として、そのうえ豊かな漁場でもあったそうです。

 古くから生活を結びついてきた堀川を、松江の人々はきれいな流れにするために努力を惜しみませんでした。

 船の中央にコタツがあり、10〜12名が乗船。コースの全長は、約3.7Km、遊覧時間は、約50分間です。

 松江の皆さんが、観光客に気持ち良く堀川めぐりをしてもらうために、お堀の両側に花を植えたり、洗濯物が見えないように工夫したり、観光客に挨拶したりとがんばっておられた。

 遊んでいた子どもたちが、手を振ってくれたのにはうれしかった。

発着場、乗車券を買うと一日中乗れます。 16個の橋をくぐります。  低い橋をくぐるときは屋根が下がる構造になっており、乗客も頭を低くしなければなりません。

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