バスの中で
Aさんはバスで通勤しています。
ある日の帰り、あわててバスに乗った後、キップを買おうとして、ポケットに手を突っ込みましたが、サイフを会社に忘れてきたことに気づきました。
あるだけのポケットをさがしても無駄でした。「しまった」1円の持ち合わせもないままバスに乗ってしまった。バスは走っています。
すぐそばに座っていた中学生が、この様子をじっと見ていましたが、「おじさん、どうしたの?」「いや、おじさんは会社にサイフを忘れてきてしまったんだよ。キップを買えなくて弱ったよ。」
子どもに言ってもしかたないと思いましたが、あまりにも熱心なまなざしでのぞき込んでいるので、そう答えました。
「おじさん、これあげるよ。」少年は自分の回数券を一枚出しました。
Aさんは、とっさのことで戸惑いましたが、今はこれを受け取るより他に方法がないと思い、「ボクは、団地に住んでるの?」「うん」「何棟かね?」
「おじさん、いいんだよ」「おじさんは、キップを返したいから教えておくれよ。」「いいんです」「どうして……」
「おじさん、実はね、ぼくも以前にキップを忘れて乗ったことがあるんですよ。その時、となりのおじさんから一枚もらったことがあるんです。ぼくは住所を聞こうとしたんだけれど、おじさんは、『おじさんに返さなくてもいいんだよ。こんどだれか困っている人がいたら、助けてあげなさい。そうしたら、おじさんに返したことになるんだよ。』と言われました。だから、それからこんなチャンスがないかと、ボク待っていたんです。」少年は目を輝かせて、そう言いました。
「そうだったの。」Aさんは、一枚のキップ以上のものを、もらったような気がしました。いい話しですね。
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