蜂 蜜
ある男が、ヨーロッパからオーストラリアに移住してきた。男はオーストラリアには年中花が咲いているのに、どこにも蜜蜂がいないのに気づいた。ここで蜜蜂を飼えばどんどん蜜ができ、大もうけが出来るに違いない。そう考えた男は、ヨーロッパから最良種の蜜蜂を取り寄せた。はじめの一〜二年は、大成功だった。どんどん蜜が取れた。しかし、そのうち蜂はまったく蜜を作らなくなってしまったのである。
どうしてだかわかりますか?その訳は、花が年中あるからです。蜂としてみれば、一年に一度しか花が咲かないからこそ、その期間にせっせと蜜を集めて、花のない冬ごもりに備える。それが、年中花があるなら、わざわざ蜜を貯える必要はない。欲しくなったら飛んでいって、いつでも花の蜜を吸えば良いのだ。
かくして、この男の計画は大失敗に終わった。
花がなくては、蜜は出来ない。花は多い方が良い。それは確かである。しかし、年中花があるのが良いとは限らない。
この話は、私たちにそのまま当てはまると思う。昔よく、「親に隠れて勉強して、見つかって怒られた。」「勉強はミカン箱で上等だ!机がいるか!!」私の小学校時代は、まさにミカン箱が机であった。
あの頃の友達もみんな同じだった。「勉強部屋を持っている」のは、金持ちの「坊ちゃん」だった。
今、こんな話はどこでも聞けないと思う。日本人の九割が自分を中流だと意識している。(借金で車を買っているのに)「豊か」になることを否定するものではないが、日常に不自由なことがなくなり、手を伸ばせばいつでも花が届くことが、私たちの精神にどのような影響をおよぼすのであろうか。
「花は多い方が良いのか」 「年中花があるのが良いのか」 もう十〜二十年先の日本はどんな社会であろう?
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