45号  2月24日   

本郷町教育委員会の広報誌に、同じ名前の「はばたき」があることに気づきました。

本郷町の「はばたき」は、月に1回の発行で、現在46号です。クラスだより「はばたき」がもうすぐ追い抜きます。
こんなことで喜んでいてもしょうがないと思いますが、何か少しばかり嬉しくなりました。

その中に、非行に走らない子どもの5つの特徴というのが載っていました。

☆              自分は良いところがあると思っている。

☆              自分をとりまく大人の中に好きな人がいる。

☆              何かの活動に深く長くかかわっている。

☆              身近な目標を持っている。(遠すぎたり実現不可能なのはダメ)

☆              家庭、サークル活動など、ある集団に一体感を持っている。 以上の5つです。

どうですか?一つでもあてはまるものを持てるように努力しましょう。

月曜日に学年末考査の時間割が発表されました。

 

3日(水)

6日(土)

8日(月)

9日(火)

10日(水)

1時間目

 

 

 

 

世界史

2時間目

 

プロ技

 

電気基礎

家庭一般

3時間目

工業数理

 

自ら、やろうとしない人に、どんなアドバイスをしても、ダメである。

 準備室の私の机の前に、1枚の手書きの色紙があります。それには、『条件がそろっても、咲かない花がある』と書かれています。

どちらも同じ気持ちの言葉です。「授業に集中しろ!」「人の話をしっかりと聞きなさい」「レポートなどの提出物は、期限内に出すように」などと、言ってきましたが、当の本人がうわの空では、お話しになりません。
保護者の方から「机にはついているようですが、なにをしているのやら」「口をすっぱくして言うんですが、なにしろ本人がやる気にならないものですから‥」そして、とどのつまりは「先生から何とか言って下さい。私の言うことは聞きません」と、こぼされることになってしまいます。

ある人が「天国や地獄があるのなら見せて欲しい」「天国は空のどのあたりにあるのか?」「地獄は地下にあるのか?」とたずねました。
ある人いわく「私が見せてあげよう」‥‥  そこには2つの全く同じ形の部屋があり、どちらも中央のテーブルにおいしそうな食べ物が置いてありました。
中には20人の人々がテーブルを囲んでいます。
そこまでは同じですが、ひとつの部屋は一人一人が一番たくさん、一番うまいものを食べようと、目をぎらぎらさせて奪い合いをしています。
人に取られまいと必死です。口に入れながらも目は、他の皿にそそがれています。相手を踏みつけている人もいます。
しかし、そんなことにかまってはおれません。(>_<) (~_~メ

さてもうひとつの部屋を覗いてみると、お互いに他人にどれがおいしいか尋ね合いながら、教え合いながら、自分の分と他人の分とを皿にとり渡し合っています。和気あいあいと、談笑しながらの食事です。(*^_^*) (^J^)  >^_^< (^・^)

全く同じ環境の部屋でありながら、その様子は正反対です。そこに住む人々の心の作用によって、そこが地獄にも天国にもなるのでしょうか。

立派な屋敷に住みながら、家庭内暴力のある家、子が親に「何をやっても、うまくいかないのは、オマエのせいだ」という家庭。
これが地獄でなくてなんだろう。

「親が悪い」、「先生が悪い」、「社会が悪い」‥‥、私たちから言えば、「生徒が悪い」などと言う前に、自分のあり方を今一度省(かえり)みる必要があると思います。

 相手の反応をよく見る

あいさつする際、相手はこちらの話しぶり、態度・姿勢などを観察し、評価します。

相手にイヤな感じを受けたら、それを表情や態度に示すなど、必ず反応があるものです。

その反応をよく読み取ることが大切です。なぜなら、それをみて自分の悪いところを改めなければならないからです。

あいさつにおいては、「相手が自分の鏡である」という意識を持ち、反応を良く見ることが大切です。



46号  3月11日

最近聞いたうれしい話。

「先生のクラスに行くのが、楽しくなりました。」(今までは楽しくなかったのか?と皮肉れてはいけません)
「先生、○○君が近ごろ素直になりましたね。」
「先生のクラスの△△さんが、『うちのクラスは楽しくて、だいすき』と言っていましたよ。」と、3人の先生から聞きました。
うれしくなり、晩酌のお酒の量が少し増えました。

 続いて、最近感銘を受けた本に、『五体不満足』(乙武洋匡著)というのがあります。
先天性四肢切断(生まれつき手と足がない)でありながら、障害を単なる「身体的特徴」と考え、「自分にしか出来ないこと」に少しでも貢献するため、電動車椅子にのって全国を飛び歩いている青年が書いた本です。

まえがきと中の一部を紹介します。

  昭和51年4月6日。満開の桜に、やわらかな陽射し。やさしい1日だった。 
「オギャー、オギャー」 火が付いたかのような泣き声とともに、ひとりの赤ん坊が生まれた。元気な男の子だ。平凡な夫婦の、平凡な出産。
ただひとつ、その男の子に手と足がないということ以外は。

先天性四肢切断。分かりやすく言えば、「あなたには生まれつき手と足がありません」という障害だ。
出産時のトラブルでも、その当時、騒がれていたサリドマイド薬害の影響でもない。原因は、いまだに分かっていない。
とにかくボクは、超個性的な姿で誕生し、周囲を驚かせた。生まれてきただけでビックリされるなんて、桃太郎とボクくらいのものだろう。

本来ならば、出産後に感動の「母子ご対面」となる。
しかし、出産直後の母親に知らせるのはショックが大きすぎるという配慮から、「黄疸(皮膚が異常に黄色くなってしまう症状)が激しい」という理由で、母とボクは1ヶ月間も会うことが許されなかった。
それにしても、母はなんとのんびりした人なんだろう。
黄疸が激しいという理由だけで、自分の子どもに1ヶ月間も会えないなどという話しがあるだろうか。しかも、まだ見ぬ我が子だ。
「あら、そうなの」となんの疑いも持たずにいた母は、ある意味で『超人』だと思う。

対面の日が来た。病院に向かう途中、息子に会えなかったのは黄疸が理由でないことが告げられた。
やはり、母は動揺が隠せない。結局、手も足もないということまでは話すことができず、身体に少し異常があるということだけに留められた。
あとは、実際に子どもに会って、事態を把握してもらおうというわけだ。

病院でも、それなりの準備がされていた。血の気が引いて、その場で卒倒してしまうかもしれないと、空きベットがひとつ用意されていた。
父や病院、そして母の緊張は高まっていく。

「その瞬間」は、意外な形で迎えられた。「かわいい」 ――― 母の口をついて出てきた言葉は、そこに居合わせた人々の予期に反するものだった。
泣き出し、取り乱してしまうかもしれない。気を失い、倒れこんでしまうかもしれない。そういった心配は、すべて杞憂(きゆう)に終わった。
自分のお腹を痛めて産んだ子どもに、1ヶ月間の会えなかったのだ。
手足がないことへの驚きよりも、やっと我が子に会うことができた喜びが上回ったのだろう。

この「母子初対面」の成功は、傍から見る以上に意味のあるものだったと思う。人と出会ったときの第1印象というのは、なかなか消えないものだ。
後になっても、その印象を引きずってしまうことも少なくない。まして、それが「親と子の」初対面となれば、その重要性は計り知れないだろう。

母が、ボクに対して初めて抱いた感情は、「驚き」「悲しみ」ではなく、「喜び」だった。

生後1ヶ月、ようやくボクは「誕生」した。

エピソードの一つ

ある日、アメフト部の友だちとふたりで廊下を歩いていた。彼も、なかなかの「落ちこぼれ」だ。
すると、となりのクラスの女の子がヒソヒソ話をするのが聞こえてきた。

A子「来た来た、アメフトのバカコンビ」

B子「この前の数学のテスト、ふたり合わせて5点だって」

A子「うっそーー、マジで?笑っちゃうね」

これを聞いたボクは憤慨(ふんがい)した。
「ちょっと待て。確かにふたり合わせて5点という事実に誤りはないが、ボクひとりで5点だぞ。こいつは0点なんだから」と、訂正しようかと思った。
が、やめた。「目くそ、鼻くそを笑う」だ。

こんなことは日常茶飯事(にちじょう さはんじ)だった。もちろん、バカにされているわけだが、決してイヤではなかった。

 「お、話題にされてる。なんだか人気者になった気分だ」

ここでも目立ちたがり屋精神が発揮され、恥ずかしいという気持ちはみじんも起こらなかった。ここまで来ると、本当のバカかもしれない‥‥。

この本は、図書館にあります。是非読んでもらいたい本のひとつです。


学年末考査はできましたか?今日から午前中授業になります。

各先生が成績を出されるのが、15日です。だから、レポートなどの未提出の人は、今週中に出さないと間に合いません。赤点となり、「進級できなくなった」ということの無いようにしてください。

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