別格第十三番 金光山(きんごうざん) 仙龍寺(せんりゅうじ)

      本 尊:弘法大師  開 基:法道仙人  宗派:真言宗大覚寺派
      真 言:南無大師遍照金剛
      御詠歌:極楽は他にはあらぬこの寺に御法の声をきくぞうれしき
      所 在 地:〒799-0301 愛媛県宇摩郡新宮村馬立
      電  話:0896-72-2033

弘仁6年(815)、弘法大師が四十二才の時登山され、その当時この山に住んでおられた法道仙人よりこの山を譲り受け、金剛窟に瀧沢大権現と開運不動尊を勧請して、護摩壇を築き「開運厄除」「虫除五穀豊穣」の二つの御誓願をおたてになり、二十一日間護摩の修行をされました。
その護摩修行満願の日に自らの姿を刻んで安置されたのがご本尊です。
その御本尊を「厄除大師」「虫除大師」として名高く、第65番三角寺の奥の院であり四国霊場八十八ヶ所の総奥の院ともなっています。
御堂は深い谷の上にまたがって立つ舞台造。
寺の周囲は険しい崖にうっそうとした原生林に囲まれ、大師自ら身を清めたと伝わる清滝(落差30m)のほか、玄哲坂、仙人堂、不動堂、蟹淵などが残っています。

別格第十二番 摩尼山(まにざん) 延命寺(えんめいじ)

      本 尊:地蔵菩薩  開 基:行基菩薩  宗派:真言宗御室派
      真 言:おん、かかかび、さんまえい、そわか
      御詠歌:千代かけて誓の松のほとりこそなほありがたき法の道かな
      所 在 地:〒799-0711 愛媛県宇摩郡土居町土居895
      電  話:0896-74-2339   


四国を巡礼中の弘法大師が修業の証として一本の松を植えられました。
再び訪れたとき、松の下に足の不自由な人が苦しんでいるのを見て、千枚通し霊符を創札され、一枚を授け加持すると全快しました。

これより千枚通しの名が全国に広がり千枚通し本坊として有名になりました。
寺宝として当時の千枚通しの霊符が現存しています。

霊符を朝な夕な至心に祈念しつ、頂けば諸々の病苦を除かれるは勿論、産気の折り安産せられるとの御誓願があります。

この松は「土居のいざり松」と呼ばれ親しまれていましたが昭和43年(1968)暮れに枯れてしまい現在は巨木の幹が横たわっています。

明治の頃には直径5m、東西30m、南北20mに及んだそうです。


別格第十一番 生木地蔵(いききじぞう) 生木山(いききざん) 正善寺(しょうぜんじ)

      本 尊:延命地蔵菩薩  開 基:弘法大師  宗派:高野山真言宗
      真 言:おん、かかかび、さんまえい、そわか
      御詠歌:一夜にて願いを立つるみこゝろは幾代かはらぬ楠のみどりば
      所 在 地:〒791-0503 愛媛県周桑郡丹原町今井
      電  話:0898-68-7371

 弘法大師が四国巡錫中、四尾山(おしぶの森)の麓に一夜の仮寝された時、この山の南方が光明輝き楠の大木に童子が現れました。
大師は「童子の化身を以て我に示し給う」と、その夜この楠の大木に延命地蔵大菩薩の御尊像をお彫刻なされました。
そして天邪鬼(あまのじゃく)が鶏の鳴き声をまねて夜明を告げたので大師は片方の耳を彫り残したまま立ち去ったと伝えられています。
 この楠の大木は周囲9〜10mで樹齢推定1200年以上と言われています。
元々本堂と大師堂の間に立っておりその中に延命地蔵菩薩が刻まれていました。
生きた木に刻まれていましたので「生木地蔵」(いききじぞう)と言われています。肩から上の病気に霊験あらたかです。
残念ながら昭和29年(1954)の洞爺丸台風により倒れましたがお地蔵様は無事で現在本堂に祀られています。
大木は本堂左手に横たわって祀られています。

別格第十番 仏法山(ぶっぽうざん) 西山興隆寺(にしやまこうりゅうじ)

      本 尊:千手観世音菩薩  開 基:空鉢上人  宗派:真言宗醍醐派
      真 言:おん、ばざら、たらま、きりく
      御詠歌:み佛の法の御山の法の水ながれも清くみゆるぎの橋
      所 在 地:〒791-0505 愛媛県周桑郡丹原町吉田1657
      電  話:0898-68-7275

皇極天皇(在位642〜645)の時代に空鉢上人が開基、養老年間(781〜724)に行基菩薩が千手観世音菩薩を刻んで安置しました。
後に報恩大師、弘法大師が入山し七堂伽藍を整えました。
歴代の皇室、武将、藩主並に地方信仰者の崇敬厚く数多くの国指定、県指定の文化財があります。
広い境内には西山四国八十八カ所・三重塔の展望、みゆるぎの渓流、紅葉参道、不動の滝、お冠の展望等あり、名勝に指定されています。
国の重要文化財である本堂は源頼朝による寄棟造りで、銅鐘は弘安9年(1286)の鋳造です。
他に石造宝篋印塔と棟札二枚があり、県指定文化財として銅像如来立像や興隆寺文書があります。
又、宝暦6年(1756)建立の勅使門には弘法大師直筆と言われる扁額が掲げられています。
御由流宜橋(みゆるぎばし)を渡り参道を上がると立派な山門(仁王門)があり、城壁のような石垣の横を通り上がりきったところに本堂、大師堂があります。さらに左手に石段を上がると三重塔がそびえています。
 四季を通じて見所がありますが、特に紅葉は愛媛県下でも特筆すべき景勝地です。


別格第九番 大法山(だいほうざん) 文珠院(もんじゅいん) 徳盛寺(とくじょうじ)

      本 尊:地蔵菩薩 文珠菩薩  開 基:弘法大師  宗派:真言宗醍醐派
      真 言:おん、かかかび、さんまえい、そわか、おん、あらはしゃのう
      御詠歌:我人を救わんための先達にみちびき給ふ衛門三郎
      所 在 地:〒791-1134 愛媛県松山市恵原町
      電  話:089-963-1960  

荏原城の西方にあり四国遍路の開祖衛門三郎の屋敷跡に建てられたのが文珠院です。
境内には大きな大師像、衛門三郎夫妻の石像が立ち、大師堂には衛門三郎由来の図が掲げられています。
 
  衛門三郎縁起
 伊予の国浮穴郡荏原に衛門三郎という欲深い長者が住んでいました。
弘法大師がみずぼらしい格好をして訪れた時、衛門三郎は鉄鉢を取り上げ投げつけ、鉄鉢は八つに割れてしまいました。
翌日から8日間に8人の子供達が次から次へと亡くなりました。
自分の罪の深さに目覚めた衛門三郎は改心し、四国巡礼中の大師のあとを追うが巡り会うことが出来ませんでした。
21回目の時、焼山寺の麓で病に倒れ、突然枕元に弘法大師が現れ、彼の手に一寸八分の石に「衛門三郎」と彫りつけますと、衛門三郎は安心して息を引きとりました。
 その後、伊予の国主河野氏に男子が生まれましたが、その子はいつまでたっても右手は握られたままで開きません。
そこでこの安養寺に願をかけましたところ、手の中から「衛門三郎」と書かれた石がでてきたのです。

 番外編 道後温泉

生まれてはじめて「坊ちゃん」が泳いだ「道後温泉」に入ってきました。
町の真ん中にあり、百年以上前に建てられています。
ホテルや旅館には、大浴場や露天風呂があるにもかかわらず、タオル片手に多くの観光客が訪れいていました。
館内には、「神の湯」と「霊の湯」があり、最高のもてなしは1240円也。
白鷺模様の浴衣、どのお湯に入ってもOK、3階の個室でお茶と坊ちゃん団子で一服と殿様気分が味わえます。
片や私が入ったのは、300円コース。
利用時間は60分、タオルなし石鹸なし、もちろん休憩室なんてありません。
ゆっくりと一人で!なんて、無理です。
観光客はもちろん、銭湯感覚で利用する地元の常連客も多く来られていました。
道後温泉の泉質は、アルカリ性単純温泉で、湯上りのさわやかさは抜群であった。

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