2004年
1月 7日  久井稲荷神社(御調郡久井町
1月11日 とんど(本郷小学校グランド)
1月20日 餅つき(本郷幼稚園・保育所)

     餅つき  1月20日(火) 本郷幼稚園・保育所

 本郷町社会福祉協議会のメンバーが、8時半に幼稚園に集合。さっそく、隣の保健センターより杵と石臼を借りてくる。
 底冷えのする中、もち米を蒸して餅つきの準備をする。
 9時半に、子どもたちは全員登校、しかし自転車に乗る子、縄跳びをする子、「なにしにきたーん?」と探究心旺盛な子どもたち。
 幼稚園や保育所の先生は大変だ!
 いよいよ餅つき、年少組みは見学だ。あるところまで大人がついておき、子どもたちが杵を持って3〜4回つく。
 つき上がった餅を別室で丸める。片栗粉をしっかりと手につけて、つきたての餅を手の中で丸める。
 「あったか〜」 「手にひっついた!どうしょう!」 「出来た出来た!」(見てみると、何とか形にはなっているが、丸い餅から足や手が出ている)
 一人が3個〜4個丸めた。
 (実際にやって見る、すなわち体験学習の必要性がよくわかった。初めは、こっそりと直さなければいけない餅が多かったが、最後にはキレイな丸い餅が完成していた。)
 お昼ごはんは、みんなでお汁の中につきたての餅を入れてご馳走になった。美味しかった!ご馳走さま。

しっかり つけーよ! キレイに 丸くなったぞ! いただきます!






   とんど   1月11日(日) 本郷小学校グランド

とんどの炎に1年の無事を祈って

日本の各地に伝わる小正月の1月15日前後に「とんど」と呼ばれる火祭りがあります。
地方によって呼び名も「とんど」「どんど」「左義長(さぎちょう)」などさまざまあるようです。
いずれも門松やしめ縄などの正月飾りを燃やして神を送り、一年の無病息災を祈る行事であることが多いようです。

本郷小学校では、PTAや地域のみなさんが前日に子どもたちとともに二つのとんどを作られた。
当日、5・6年生の子ども達が10時に火をつけ、大きく燃え上がる。「字がうまくなれ!」と紙が燃え上がる。
「とんど」の火で餅を焼き、食べると一年間風邪をひかないそうだ。昼食を兼ねてしっかり食べる。これで大丈夫だ!

天に届けと二つのトンド 字が上手くなればいいですね パンパンと竹の裂ける音が・・・
そろそろ 良いかな? さあー 焼くぞ! ゼンザイが美味しかった。

とんどの歴史

とんど焼きは、平安時代に宮中で行われていた祭事で、その後民間にも広まり、神様に関係のある尊いものを燃やすという意味で「とほど焼き」といわれていました。
それが焼くときの「とんどや」という囃し言葉や、火がどんどん燃えさかる様子から「とんど焼き」ともいわれるようになりました。
この火で焼いた餅を食べると1年中健康でいられ、また、火にくべた書き初めを燃やし、紙が高く上がると字が上手になるなどの言い伝えがあります。

日本古来の伝統はいつまでも残しておきたいものです。

正月飾りを燃やして無病息災などを祈る「とんど」。
少子化、さらにはダイオキシン問題などで、廃れゆく他の伝統行事と同じ道をたどりつつある。
日本古来の伝統が消えゆくのは残念でならない。「心の豊かさ」や「地域のつながり」を大切にしたいものですね。




   久井稲荷神社   

久井町を通っているときに、街中の小山に赤い鳥居が多く見えるところがある。いつも「アレハナンダ!」と思っていた。
今日、上下町の矢野温泉に行った帰りに寄ってみた。
あの「裸祭り」で有名な神社であることがわかった。

「わっしょい、わっしょい」

裸の男たちが陰陽2本の福木を奪い合う県内随一の裸祭です。
御福木一本の争奪時間は、十数分から一時間以上の場合もあります。
裸男は、寒中であり事前に適宜のお酒を戴いて勢いをつけ参加します。
裸男は、先ず(御調川)をせき止めた所へ飛び込み、身を清めて 「ワッショイ」「ワッショイ」とかけ声をかけながら走って神社へあがり、 境内に丸太を4本立てシメナワを張った中に入りもみあいます。
これを地押しといい、身を清めます。
男たちにかけられた水も湯けむりとなって立ちのぼり、その熱気で、見ている方も寒さを忘れるほど。
福木は、陰陽二本が順次投下され、福木をとった者は、その年の福男として祝福されます。
また、参加するだけでも無病息災が叶えられると言われています

開催日:2月の第3土曜日

久井稲荷神社は、伏見稲荷大社の分霊としては日本最古。天慶元(938)年の創建。
社蔵の小早川隆景寄進の「大般若経六百巻」は県指定重要文化財。
祭しは「御福開祭」「祇園祭」「御当座祭」が有名です。


今日の発見   何故、「久井町」なのか?

その昔、一匹の白ギツネが、杭の庄七郷の民の夢枕に立ち、「稲荷大明神が山城国(京都)伊奈利山から霊を分かって、この地に鎮座し給う。
明朝杭を持ち寄って社を建て、神膳を供すべし」とお告げしました。
里人は驚き、お互いに昨夜の夢を語り合い、杭木をもちより神殿をつくりました。〜このような古事から「杭の庄」または「杭七郷」と呼ばれ、この名が現在の「久井」となりました、とさ。

朱色の鳥居が色鮮やかでした 初詣にはさぞかしたくさんの人が・・・ 久井町は、「杭(久井)の牛市」(日本三大牛馬市)として有名。境内にあった牛の石像

メル友のぷー太に作っていただきました。


1     

inserted by FC2 system