近況報告

2003年度 
1月22日  情報技術科「課題研究発表会」 6月27日  幼稚園児との水鉄砲つくり
3月15日  工業高校から総合技術高校へ 8月 9日  本郷工業高校電気科旧職員の集い
3月26日  人事異動発表 9月15日  本郷地区敬老会
4月 9日  エヒメアヤメ(誰故草)との初対面 9月17日  四国八十八ヵ所巡礼の旅 結願
4月14日  芝桜・カタクリの花・しだれ桜 9月25日  本郷小学校2年生と紙飛行機作り
4月25日  本郷工業(生活指導係りの送別会) 11月22日  紫紺祭(力の限り ホンゴGO!!)
5月17日  高等学校 花のふれあい植え付け 12月11日  学校にイルミネーション
6月 8日  雑誌「いきいき」に私の紹介記事が載る 12月12日  卒業生との忘年会
6月10日  園児との「ふれあい農園」 12月18日  本郷幼稚園にサンタ役で出演!
6月13日  総合技術高、05年春開校 12月21日  本郷工業高校情報技術科の忘年会

   情報技術科の忘年会     2003年12月21日(月) 「やました」(本郷団地内)

2学期の終業式が本日あった。情報技術科の先生から「忘年会をやるので、来てくれませんか?」とお誘いがあり、喜んで出席しました。
場所は最近出来た本郷団地内の「やました」、美味しい料理でした。
久しぶりに先生方と会い、楽しい忘年会でした。尾道工業から谷先生も参加されました。

大津賀先生と谷先生 実政先生と大津賀先生 近藤先生と高橋先生(少し疲れ気味?)
ご馳走がたくさん出ました。 関戸先生と能登先生 岡本先生とわたし

  メル友のぷー太に作っていただきました。


    本郷幼稚園でサンタクロースに!  12月18日(木) 本郷幼稚園

社会福祉協議会の活動の中に、「地域の子どもたちとのふれあい!」というものがあります。
保育所や幼稚園の子どもたちと遊んだり、芋を植えたり、小学校の生徒と紙飛行機を飛ばしたり、紫紺祭でプランターに花を植えるのは、この活動の一環なのです。
今日は、4・5・6歳の幼稚園児にサンタクロース役でプレゼントを渡してきました。
「あ!このサンタさんはニセモノじゃ〜」 「なんでやぁ?」 「見てみーやー、ヒゲにヒモがついとるや〜」 「こ・これはの〜、トナカイで空の上を飛ぶじゃろ〜が。その時にの、ヒゲが取れちゃー いけんけー 縛り付けとるんじゃー」 「わかったか?」 「わかった」
素直ないい子どもたちです。このまま純な心で成長してくれればいいのですが・・・・・

どちらが私か?わかりますか? ありがとう!の元気な声。気持ちいいですね。 「お父さん、お母さんの言うことを良く聞けよ!」
社協の皆さんと、はいポーズ 12月生まれの子どもたちです。 園児たちと美味しい昼食をご馳走になりました。

   卒業生との忘年会  12月12日(土) 竹原簡保センター「かんぽの宿」 参加者12名

中国電気保安協会・広島支部の本郷工業高校同窓会の忘年会があり、行ってきました。
集まったのは本郷工業高校電気科を卒業後、中国電気保安協会に就職した皆さんです。 久しぶりの再会で話が盛り上がり、結局寝たのが12時近くでした。
温泉良し、料理良し、酒良し、さらに語らいもっと良し。久しぶりに楽しい一日でした。幹事の池本君、種村君、ありがとう。
また、私と同時に本郷工業高校電気科の教師になり、昭和45年に電気保安協会へ転職された景山先生(今回の会は、彼の「退職祝い」も兼ねていました)も参加されました。
さらに逆のコース、電気保安協会から本郷工業の先生になり、現在は宮島工業高校で働いておられる永浜君も参加、全員で12名でした。

名   前

卒業年度

勤 務 先

第5期

池本 忠

昭和45年

矢野支所

第5期

種村 邦彦

昭和45年

東広島支所

15期

永浜 敏徳

昭和55年

宮島工業高校

16期

重森 稔

昭和56年

三次支所

23期

重川 曜志

昭和63年

三次支所

24期

岡原 淳文

平成元年

東広島支所

28期

末光 崇志

平成5年

東広島支所

29期

岡田 智弘

平成6年

呉支所

30期

金子 剛史

平成7年

三次支所

31期

末光 宏志

平成8年

三次支所

景山先生の挨拶 自作のグイ呑みを無理やり土産に! 幹事の種村君
幹事の池本君 永浜先生との語らい 宴もたけなわ・・・・・

メル友のぷー太に作っていただきました。


      玄関にイルミネーション! ラブホテルと間違われなければ良いが・・・・・・

これはビックリ、本郷工業高校の玄関(ロータリー)にイルミネーションが点灯されました。
今まで無かったことです。町民の皆さんもビックリ。最近流行の携帯電話でパチリ!パチリ!本郷名物になりました。
是非とも見においでください。
なお、製作は電気研究部の電気科3年生の向畑真希さんが企画立案し、同じく電気研究部の電気科3年生岡崎央君と情報科3年の岡谷紗希さんが手伝ってできたそうです。
イルミネーションの点灯期間は12月8日から12月24日の夜まで、午後5時から9時まで、毎日点灯させる予定だそうです。
参考のために電気科の木原先生に撮っていただいた写真を載せておきます。(実物はもっと綺麗ですよ!)

後は円形体育館です。いろいろな色のランプが点滅しますので、キレイですよ!

   紫紺祭 (力の限り ホンゴGO!!) 11月21日(金)・22日(土)

紫紺祭実行委員長の久保川君の挨拶

2003年も残すところわずか。11月となり、秋も深まって、朝夕の冷え込みや、肌にあたる風は刺すような痛みを感じるほどになりました。
今年の紫紺祭は、生徒の募集停止により1年生がおらず、2年生と3年生のみでの開催となりました。
前年度に比べ、人数が減り、模擬店やステージ発表も少なくなってしまいましたが、私たちみんなで協力し、盛り上げて、前年度以上に楽しい紫紺祭にしましょう。

各クラスがテントを設営 PTAの皆さんも協力 お茶席もありました
寒かったので、トン汁が美味かった! 社協も協力しました。 生徒と花を植えました。

いつもは外から眺めている校内に、久しぶりに入りました。
2.3年生だけの学園祭なので、さぞかし淋しかろうな〜と思っていましたが、テントの数は例年とほぼ変わらず。
町民や卒業生の来校も昨年までと変わりはありませんでした。
舞台は見ることは出来ませんでしたが、生徒みんなが一人一人、学園祭を成功させようとする雰囲気がうかがえました。
木枯らし吹く寒い日でしたが、心の中は久しぶりにホンワカした一日でした。


「紙飛行機名人に教えてもらおう」  (9月25日 本郷小学校2年生2組の26名の皆さん)

 紙飛行機作りの名人の一人として、小学2年生の子ども達と遊んできました。
 1時半から3時までの間、休憩時間も取らずに子ども達はがんばりました。
 自分で作った飛行機が、飛んでくれた時の喜んだ顔はすばらしいものです。「物作りの教育」がいかに必要なことかが、よくわかりました。
 今日はわたしを含めて、5名の地域社協のメンバーが紙飛行機作りの名人として参加しました。
 隣の1組は、元保健室の永井幸子先生が中心になって、兜・風車・ヤッコさん・鶴・・・などの折り紙を指導されました。
 10月初旬には、5年生による稲刈り、下旬には3年生による脱穀から精米までを行います。また、11月には1年生にコマ廻しを教える予定です。
 元気の良い、子どもたちのエネルギーをもらえるこの行事が楽しみになりました。
 

この真剣な目の輝きが良いですね! 指導者の高谷さん そうー!そーじゃ!
ここはのー、こー折るんじゃー! 38ミリ? まだ なろーちゃー いまーがー 見てみーや、よけーとぶどー
いっせいに、よーい どん! 社協のおじさん、今日はありがとうございました。・・ 隣のクラスは、永井先生が折り紙を指導

メル友のぷー太に作っていただきました。

      本郷地区敬老会

2003年9月15日、本郷町中央公民館において「本郷地区敬老会」が行われました。本郷地域社会福祉協議会のメンバーとしてお手伝いをしました。
本郷町は、本郷・船木・北方・南方の4地区に分かれており、今日それぞれの地区で「敬老会」が開かれたのです。
町長さんはじめ、お偉方のみなさんはこの4地区の敬老会で挨拶、さぞかし忙しかったことと思います。
本郷地区の最高齢者101歳のおばあさんです。
本郷町全体の人口は1万1137名ですが、その約23%が65歳以上です。今後はこのパーセンテージが益々大きくなります。
と言うことは、今後年金の問題が大きくクローズアップされてくるでしょう。「今まで自分の年金を積み立ててきたのに、もらえなくなるの?」
「自分が年を取ったときには、年金制度は崩壊している。だから納める必要などないのだ」などなど・・・・・
ともあれ、女性会・各町内会・保育所・各同好会などが「本郷地区敬老会」をお祝いしました。

我が片山町内会の敬老会メンバーです。 ご馳走を食べながら、演芸を鑑賞 元気の良い保育所のちびっ子たち

 その他、コーラス・フルート演奏・踊り・大芸道(南京玉すだれ)カラオケ・剣舞・空手演舞・劇(やぶれかぶれ)があり、2時過ぎに終了しました。


        本郷工業高校電気科旧職員ホームカミングデー

 本郷工業高校は農学校といて発足、普通科の時代もありましたが昭和38年に工業高校となり、平成17年で廃校となってしまいます。
 この間に関わった電気科の教員が久しぶりに集いました。
 参加者の自己紹介・思い出のアルバム(テレビ放映)・実習場の見学・懇親会と楽しい一日でした。

 奥島緑先生が作られた「思い出のアルバム(テレビ放映)」の写真をお借りして、昭和38年からの電気科の歴史をまとめてみました。


 左の枠内をクリックしてください。
 

後) 木原 ・ 永浜 ・岡 ・佐藤 ・山田 ・ 小林 ・ 能登        
奥島 ・ 松葉 ・ 増野 ・ 青木 ・ 桝野 ・ 渡辺
吉田 ・ 大出 ・ 森岡 ・ 浦上 ・ 小笠原 ・ 奥島    
吉川 ・ 木下 ・ 原田 ・ 唐内 ・ 倉本 ・ 小林

当日の様子

発起人代表あいさつ(奥島先生) 幹事長(小林先生)より日程説明 校内を見学(先頭は原田先生)
電気機器実習室の見学 電気工事の実習室見学 懐かしの円形体育館
本郷グランドホテルで懇親会 後)小林・大出・森岡・渡辺・奥島
前)木下・原田・唐内・倉本
後)小林・浦上・増野・奥島
前)奥島・吉川・木下
後)小笠原・永浜・青木
前)小林・佐藤・奥島・岡・松葉
お断り!少し呑みすぎて、ブレています。
後)小林・小林・木原・能登
前)吉田・山田・岡・桝野
原田先生と唐内先生
岡先生と吉川先生 永浜先生と小笠原先生 宴もたけなわとなりました・・・・


メル友のぷー太に作っていただきました。


         本郷幼稚園児との水鉄砲つくり

前回の「ふれあい農園」に続いて、ふれあい作業の一環として本日は水鉄砲つくり。
社協のメンバー12名が、竹を切り、バリを取り、穴を開け、軸に布を巻いて完成。しかし、60本ばかりの水鉄砲を作るのは大変だった。
保護者の方も多く参加されていたが、水鉄砲を作るのは初めてとか。私たちの時代は、自分で竹を探し、鋸で切って、どのように作ったらよく飛ぶかを友達と競ったものです。
竹とんぼ・紙鉄砲(弾には、山吹の芯にあるスポンジ状のものを使ったものです)・竹馬などを作って遊んだものです。
しかし、若きお父さんお母さんにはそのような経験が無いようです。「ここはどうするんですか?」「布が上手く巻けないのですが・・」
若き皆さんのために水鉄砲つくりを伝授します。

1.材 料

(1) 筒の部分 ・・・・・ マダケがサイズや肉厚などの点で最も適している。直径25ミリから40ミリで節と節の間が25センチ以上のもの。
                材料の直径は幼稚園の子ども用には細いもの、小学校の低学年は30ミリ前後、40ミリに近くなると3〜4年生切り口が出来るだけ                 丸く、曲がりが少ないものを選ぶ。枝が出ている部分は円形でないので使えません。

(2) ピストン用の棒 ・・・・・ 木の棒でも、竹でも良いが竹の方が軽く強い。竹はマダケの細いもの。
                   シリンダーの太さに合わせた太さを選ぶこと。真っ直ぐに伸びたものが良い。

                   シリンダーの内径とピストン用の棒の外形との差が12ミリ〜15ミリ程度が作りやすい、
                   長さはシリンダーより13〜15センチ長くする。

2.道 具

 (1)のこぎり ・・・・・ 竹引き鋸か、出来るだけ目の細かい鋸
 (2)ドリル ・・・・・ 直径2.5〜3ミリの穴を開けられるもの
 (3)ナイフ ・・・・・ 切り出しナイフ
 (4)サンドペーパー ・・・・・ 中程度の荒さのもの

3.作り方

 (1) シリンダーを作る
    竹の太さは一定のように思われるが、節の間でも根本の方がやや太い傾向があり、真ん中がやや太くなっています。
    この様な性質を考慮して次のように作るのが良いでしょう。

       放水口側 ・・・・・ 放水側は竹の先端側にする。節から10ミリほどの所で切り、中央に2.5〜3ミリの穴を開ける。
                   穴の大きさはシリンダーの細いものでは2.5ミリ、太いものでは3ミリ程度

       解放側 ・・・・・ 解放側は竹の根本側にする。隣の節から20〜30ミリの所から切る。
                 
 (2) ピストンを作る
        ピストンロッド(棒) ・・・・・ シリンダーの内径に合わせた太さのものを選ぶ。
                         先端に節を付けて所定の長さに切る。先端から30ミリの所に棒を貫通する穴(3ミリ)を開け、竹のひごを差し込む。
                         これは仕切りに巻く布を固定する目的のもの、棒の表面からから2〜3ミリ程度の長さ

        仕切り(シール)を作る ・・・・・ 手拭いや浴衣などの古い布を幅25〜30ミリにさき、竹ひごの上に巻く。
                            巻く堅さが水鉄砲の性能に最も影響する。
                            指で押して少し弾力を感じてへこむ程度。硬ければシリンダーに入らなかったり、ビストンが動きにくい。
                            柔らかいと崩れて取れてしまったり、水が逆流する。巻き終わったら、2ヶ所糸を巻いて止める

        仕切り(シール)の仕上げ
          幅50ミリに裂いた布を2〜3回更に巻き付ける。新たに巻いた布は前に巻いた布を包むようにピストンロッドに糸でしっかりと止める
ピストンの先端の構造 完成したシリンダーとピストン
よう見とれよ!こがーに巻くんじゃー お父さんお母さんも孤軍奮闘中です 「この辺で切るかの」「はよーしてーやー」
出来たよ。早よーやってみよう。 「見てミー、よう飛ぶケー」「ずぶぬれやー」 みんなで楽しい昼食です。


      本郷幼稚園の子どもたちと「ふれあい農園」  6月10日

「本郷地域社会福祉協議会」の行事として、年に何回か幼稚園・保育所の子どもたちと一緒になって、農作業をします。
今回は、本郷幼稚園の年少組のみなさんと、ジャガイモ・タマネギの収穫、そしてサツマイモの植え付けをしました。
「ジャガイモはここの茎を持って抜くんだぞ!」「おっちゃん!抜けん!」「てつどうてやるケー、がんばってみーやー」
「ムカデがいた!!」「これはムカデではない。咬みはしない。」
「サツマイモの茎は、こっちを土の中に入れるんでー」「もっと奥まで突っ込めやー」突然「おっちゃん!カブトムシの幼虫や!」「違う!カブトの幼虫はもっと大きい!」
久しぶりに孫のような子どもたちと戯れ、疲れました。しかし、快い疲れです。
昼にご馳走になったカレーは美味しかった。

地域のおじさんより、説明を受ける。 いっせいにジャガイモ掘り 大きなジャガイモが取れた!
こんなになっているぞ! タマネギを掘り起こす。 ハヨー ヤレーヤー
タマネギ とったよ! サツマイモの植え付け はい!ポーズ!


メル友のぷー太に作っていただきました。


    総合技術高、本郷工高跡に2005年春開校 '03/6/14

 広島県教委は13日、複数の専門学科を置く「総合技術高」を2005年度に、本郷工高(本郷町)の跡地に開校することを決めた。
 これに伴う専門高の再編で尾道工高(向島町)の生徒募集を05年度から停止し、06年度末で廃止する。
 河内高(河内町)と賀茂高(東広島市)の専門学科も、総合技術高に統合する。

 総合技術高は、学科の枠を超えて科目選択できる新しいタイプの専門高校。
 定員は240人で、情報技術▽電子機械▽環境▽情報ビジネス▽食文化―系の6学科を置いて2005年4月に開校する。
 校舎は04年度末に廃止する本郷工高の施設を改修、増設して活用する予定にしている。

 県教委は、総合技術高の開校に伴い、周辺の専門高校、専門学科を統廃合する。
 尾道工高は、機械、電気、電子工業、設備工業、生物化学の五学科すべてを05年度から募集停止する。
 同高は、来年度に入学する生徒が卒業する07年3月に廃止する。

 河内高の商業、食物調理、生活文化の三学科と賀茂高の生活科学科も05年度から生徒募集を停止し、総合技術高に集約する。
 両高校は07年度から専門学科がなくなり、普通科だけとなる。

 県教委は昨年3月、県立高の再編整備基本計画を策定。専門高と専門学科について、
 (1)産業構造の複雑化に対応する人材をはぐくむ総合技術高の設置
 (2)農、商、工業のスペシャリストを育成する拠点校の指定―の方針を打ち出していた。

 県教委は同日、専門高拠点校として、西条農、庄原実業、広島工業、福山工業、広島商業、尾道商業の県立六校を指定した。県内の職業教育の中心高として資格取得を推進するほか、大学との共同研究や企業の社会人による授業を進める。

 県教委の常盤豊教育長は「少子化の一方、産業構造の変化で新ニーズが生まれる中、学校や学科の再編は避けられない」と説明している。

専門高校・専門学科再編整備第1次実施計画が広島県教育委員会より発表!

 ここをクリックしてください。


      我が作品が、雑誌「いきいき」に記載! 6月8日

    50年代からの生き方・暮らし方(応援雑誌)『いきいき』7月号に、私の紹介記事が載りました。

この図は「布袋指月図」と言います。 布袋さんは太鼓腹を突き出して、日常品を大きな袋に入れて、いつも笑顔で街中を悠然と歩いていたそうです。
「標月不忘指」(月をさして指を忘れず)という言葉があります。その意味は、「理想ばかりを目指すのは良いが、現実を忘れてはいけない!現実と理想がよく結びついているように心がけることが大切です。」と言うことです。
この絵は「あの月が欲しくばやろう!取って行け!」と布袋さんが指差しています。「自分が出来ることと、出来ないことをわきまえることです。』
とは言え、やる前から「できない!」なんて言わないようにしましょう。

       高等学校の「ふれあい植え付け」   5月17日(土)

本郷町民で組織する「本郷地域社会福祉協議会」と言うものがあります。退職後、この協議会の推進委員になりました。
活動として、花を育てて、一人暮らしの高齢者のお宅にお配りしたりしていますが、その活動の一つとして高等学校にも春と秋に花を配っています。
社協のメンバーが生徒・先生・保護者と一緒になって、プランターに花を植えるのです。
「この花はサルビアと言って、背が高くなるので中央に!」「もっと、間隔を空けて植えなさい!」と、じいちゃんばあちゃんから注意を受けながら、作業が進みました。
もちろんわたしは、「じいちゃん」の一人です。
久しぶりに1年のときに教えた子どもたちと会って、元気をいただきました。
願わくば、自分の植えた花をたえず気にする子どもになってもらいたいと思います。

どの子も、いい顔をしてますね。今回のような取り組みが広まると、不良青年などいなくなるのでは?
昔は知らないおっちゃんが、「何しよるんなー。バカたれーが!」と怒られたものです。
ある時、野球部の親たちに「あなたの子どもが、花火工場のそばでマッチを擦って遊んでいました。それを見た人が、『何しよるんなー。バカたれーが!』と殴ったとします。
その時、あなたは?と質問しました。

1.よくぞ殴ってくれた。と感謝する。
2.何故、殴る前にその理由を子どもに話してくれなかったのか?と不満を言う。
3.わたしも殴ったことがないのに、何をしてくれたんだ!と抗議する。

今は、3番が多くなったと思います。情けない!事故が起きて、我が子が死んだらどうするのか?
悪いことは悪いのだ。理屈ではない、体で覚えさすことが必要です。と思うのですが・・・・・・・・・・


 山垣内先生・鳥尾先生・段先生の送別会

  4月25日(金)19:00〜 三原センターホテル2階 上海クラブ 

参加者(敬称略)  新谷,西,谷,南場夫妻,花田,関戸,高橋,西宮,田中,古館,岩城,大津賀,木原,熊本,剌田,手島,木下 21名

山垣内先生に花田先生より花束! 谷先生も尾道工業から駆けつけて・・・ 本日の主賓3人
古館先生・木原先生・西宮先生 私・関戸教頭・新谷校長 手島先生・剌田先生・岩城先生


             お遍路の旅へ出発 (2003年9月17日、88ヶ寺すべて完了) 

いつかは行ってみたかった四国霊場88ヶ所巡り、2002年9月26日についに出発した。
業者のバスによる日帰りの旅、1日数ヶ所を巡礼、あまり歩くことがなく簡単であるが、ご利益はあまりなさそうだ。
しかし、すげ笠・白衣・杖・輪袈裟・納経帳などを購入し一人1万円ほど出費、最後まで廻らなければならない。がんばるぞ!
(88ヶ所の巡礼が済んだら、総本山の高野山にお参りして満願成就となるそうだ)

巡礼の旅で初めて知ったことが多くあります。

その1 巡礼には作法があること。お寺(巡礼では霊場と言う)に着いたら、山門のところでご礼、入って口をすすぎ手を洗う。
そして鐘をつく ・・・・・・・・・・
その2 巡礼のたびは、最低3回は廻ると良いそうである。
1回目は、現在の自分を見つめる旅、2回目は、過去のご先祖を供養する旅、
そして3回目は未来の子孫繁栄のを願う旅だそうだ。
その3 お遍路さんは杖を突いて歩くが、この杖を「金剛杖」と言って弘法大師(空海)の分身であり、自分自身の墓標でもある。
毎日洗って、床の間に置く。
その4 「金剛杖」は、橋の上では突いてはいけない。
橋の下で寝ている大師を起こしてしまうからだそうだ。何故、橋の下で寝ておられたのか?は不明。
その5 賽銭は投げてはいけない。(仏様にお供えするのに、投げるとは!)
故に、賽銭箱の中は斜めになっており、賽銭を置けば自然に下に落ちる。
その6 鐘楼の鐘をお参りした後に突くのはいけない。「帰り鐘」といって、お参りの功徳が消える。
その7 線香やロウソクの火を他人からもらってはいけない。他人の厄をもらってしまう。
その8 お寺では本堂と大師堂の2ヶ所にお参りする。まずは本堂へ
その9 納札(おさめふだ)という物があり、(昔は木の札であったが、今は長さ15センチほどの紙の札) 
巡拝年月日・住所・名前を書き、本堂、大師堂に奉納する。
また、お遍路さんの名刺としても使う。(接待を受けたときにお渡しする)
その10 線香は1本を立てるのではなく、3本を一組として立てる。(現在・過去・未来)
その11 階段は「左通行(右回り)」である。四国霊場88ヶ所巡りが右回りであるから。
その12 なぜ88ヶ所なのか?と言うと、貪欲・怒り・愚痴・おごりなど八十八の煩悩を断ちためである。
また、男42歳・女33歳・子ども13歳の厄年を併せた数である。という説もある。
88番札所「大窪寺」の山門 「大窪寺」本堂前での結願記念撮影


メル友のぷー太に作っていただきました。


職業人の育成へ「総合技術高校」 県教委が新設構想 (3月18日付 朝日新聞より)

 県教委は、複数の職業学科を備えた「総合技術高校」を05年度以降に新設する構想をまとめた。
 「変化の激しい時代に産業の各分野で活躍できる職業人を育成する」としている。
 総合技術高校の新設は、県立高校の再編計画の一環で、県内では初めて。
 03年度から募集を停止した本郷工業高校の校舎を利用する。規模は1学年6学級ほどになるという。
 学科の枠を超えて科目選択ができるほか、長期間のインターンシップ(生徒による就業体験)や経営者、現場技術者による授業などが教育課程に盛り込まれる予定だ。
 県教委は03年度の早い時期に、学校の形態や教育課程、開設時期などを明らかにするという。

 まだまだわからない点が多くありますが、端的に言えば工業以外の学科(例えば、家政科、農業科、商業科など)も含む高等学校に変身するのです。
 現在の体育館は?電気科の施設設備は?学校名は?生徒募集はいつから?・・・・・・まったくわかりません。
 新しい情報がわかり次第、みなさんにお知らせいたします。

 あまり詳しくは出ていませんが、県教育委員会のHPに、概略が出ています。

「総合技術高」設置へ 広島県教委 (3月15日付 中国新聞) '03/3/15

 広島県教委は14日、複数の職業学科を置く新しいタイプの専門高校となる「総合技術高」の設置構想を固めた。変化の激しい時代の企業ニーズにマッチした人材養成が狙い。幅広い知識を基に、創意工夫を生み出す専門教育に主眼を置いた。2004年度末で廃止となる県立本郷工業高(本郷町)に、05年度以降に開設する。

 総合技術高は、農業、工業、商業、家庭など複数の職業学科を置き、学科の枠を超えて科目選択ができる「総合選択制」を導入。工業科の生徒が商業科の授業でコスト意識を磨くなど、柔軟な発想の基盤となる幅広い知識が得られるようにする。1学年6学級程度を想定している。

 企業などでの長期間のインターンシップや、地元企業の経営者、現場技術者の講義も実施。生徒の職業観や起業家精神を養い、   マナーやもてなしの心を身に付ける。

 県教委は、少子化の進行や高校生の就職難の深刻化に伴い、単科の11校など県立専門高の再編を検討している。県内の企業百社へのアンケートと数社への訪問から、「創造力やコスト意識などに企業側のニーズが高い」と判断。総合技術高の開設を決めた。

 学科の枠組みを超えた公立総合専門高は、中国地方では今年四月、鳥取県で二校が開校する。さらに岡山県も設置を検討している。

【写真説明】2004年度末の廃止後、「総合技術高」として活用される本郷工業高校(広島県本郷町)




芝桜・カタクリの花・しだれ桜 4月14日

 世羅西町の「花夢(かむ)の里」で、50万株の芝桜庭園を見学。

 少し時期が早かったが、ピンク・レッド・ブルー・ホワイトのじゅうたんは見るべきものがあった。

 神石町の帝釈峡・神龍湖にカタクリの花を見に行ってきました。

 反り返るように咲く紅紫の花弁で、かれんな花を見せてくれました。

 もっと小さな花を思っていましたが、以外に大きな花でした。

 
 「甲山ふれあいの里」へしだれ桜を見に行ってきました。

 少しまだ早いかな?と思っていましたが、今が旬!一番良いとき!

 しだれ・八重・染井吉野が1250本、しだれ桜の並木路はすばらしかった。

 ただ、入場料500円は高いぞ!
 車を走らせていると、すばらしい枝垂れ桜の老木あり。

 急停車、民家の庭にある桜の木を見させてもらう。

 おばあちゃんいわく、「わたしが嫁に来たときに、すでに一抱えもアル大きさでしたよ」

 結婚は50年前、いつの時代からの桜の木か?

 




        情報技術科「課題研究発表会」

情報技術科では3年間の締めくくりとして、課題研究発表会を行います。
これは、3年生が課題研究の授業として、1年間かけて研究した成果を発表するものです。
今年は、エルサルバドルとのメール交換、本校ホームページの紹介、自作のプログラムソフト、中国大会出場の相撲ロボット、調光装置付きのアイディアランプ、CADを使った校内配置図の作成などの発表がありました。
1年間を通じてテーマを決め、苦労・苦心した研究内容です。

   日  程 : 2003年 1月22日(水)      10:00〜14:00

   場  所 : 本郷町中央公民館    大ホール

   発表内容 : アイディアランプ      ホームページ       ロボット相撲
             プログラミング       CAD

熱心に?聴いている生徒たち 一つのグループの発表 熱心に聞きほれる私と古川氏





 先生方の人事異動  3月26日

本郷工業の先生方の異動(これ以外にも、あるかもしれません。情報があれば、メールをお願いいたします。)

名  前 転勤校 過去に本郷工業で勤務された先生
校 長 小中谷先生 福山工業 今年、退職される先生
社 会 畠山先生 沼南 機械科 高祖伸平先生 (呉工業)
理 科 鳥尾先生 大門 十楽久則先生 (尾道工業)
段先生 三原 電気科 増野博人先生 (呉工業)
体 育 山垣内先生 指導三課 木谷郁史先生 (宮島工業)
英 語 宮奥先生 世羅 異動のあった先生
家 庭 田原先生 三次 勤務校 転勤校
機械科 赤木先生 尾道工業 情報技術科 槇谷先生 呉養護 西条養護
西本先生 宮島工業 機械科 中川先生 呉工業 広島工業
佐竹先生 呉工業
電気科 桝野先生 福山工業(定)
情報技術科 山下先生 庄原実業
 

メル友のぷー太に作っていただきました。




  エヒメアヤメ(別名 誰故草・タレユエソウ)との初対面   4月9日

 本郷町のすぐ隣、本郷駅からやく4Kmの所に三原市沼東(ぬたひがし)町がある。その一角にエヒメアヤメの自生地があるが、いまだ一度も行ったことがなかった。
 一般公開は今週土曜日の12日からであるが、自生地までの道路の整備、自生地入り口にテントの設営、そして自生地内の通路用ロープなど近所の方がボランティアで働いておられた。
 盗難防止のために金網と入り口の施錠が行われていたが、幸いにも開けていただいた。ラッキー!
まだ時期的に早かったので、南の斜面に3株ほどが花を咲かせていた。カワユイ!可憐な花!ワラビの間から花が覗いていた。

 エヒメアヤメは中国東北部、朝鮮半島を中心に分布しているアヤメ科の多年草で、4月から5月にかけて青紫色の美しい花が咲きます。
 
  花の直径は5p前後、茎の長さは10p前後、葉の長さは15〜20pの小型のアヤメです。

 日本では明治30(1897)年に愛媛県で発見、報告されたことからエヒメアヤメと呼ばれるようになりましたが、別名を誰故草(タレユエソウ)ともいい、地方によってはヒメアヤメ、イッスンショウブなどの呼び名もあります。

 エヒメアヤメの種子は鳥や風に運ばれることはまれで、地面に落ちるのみで生育の範囲はゆっくりと広がります。したがって日本と中国、朝鮮半島にエヒメアヤメがそれぞれ自生しているということは、これらの地域が遠い昔に陸続きだったことを示す植物学的資料となるのです。

 私の見に行った沼田西町のエヒメアヤメ自生南限地帯は広島県で最初に発見され、豊浦町(山口県)、北条市(愛媛県)、佐賀市(佐賀県)、小林市(宮崎県)の自生地とともに、国の天然記念物に指定されました。(指定:昭和10年12月24日)

  エヒメアヤメは、近年環境の変化など様々な原因により数が減少しましたが、エヒメアヤメの自生地では、エヒメアヤメの保護に関する様々な取り組みがなされています。

 保存にあたっては、地元の沼田西町エヒメアヤメ保存会と市教育委員会が協力して、毎年自生地の下刈りなどが行われています。

 地元の沼田西小学校では、児童全員による観察学習を継続して行われており、教材としての活用とともに環境教育にも役立てています。
これがエヒメアヤメだ!思っていた以上に小さかった。
葉の先に小さき露がポツリと、朝日に輝く。 近くの沼田西小学校の子どもたち 私が描いたエヒメアヤメ

 米山寺べいさんじ) 三原市沼田東町納所

 三原は芸備の国境の町、小早川隆景が最終的に城を築いたところです。毛利元就の三男の隆景が小早川家を継ぎ、戦乱を勝ち抜き、水軍の便もあり、三原に進出しました。

 本郷から三原にかけては、小早川家の歴史の舞台となっています。小早川家は、鎌倉時代関東相模の国より転入してきた土肥実平氏が先祖、依頼本郷に本拠を置き、この地域を治めたそうです。

 戦国時代、分家の竹原小早川家に毛利家から、隆景が転入、本郷小早川家を併合本郷に入ってくる。毛利家が中国を制覇していく過程の中で、三原へ進出、浮城を築く。沼田川を中心に、小早川水軍が活躍したようです。

 米山寺は、沼田庄地頭小早川茂平が嘉禎元年に建てた氏寺で、鎌倉幕府3将軍の供養等並び小早川家初代実平から17代隆景に至る石造宝筐印塔20基が整然と並び、往時をしのばせてくれます。
 
 毛利元就の三男、小早川隆景は慶長2年、65才で没しましたが、その墓も他の印塔と肩を並べています。また国の重要文化財指定の「絹本着色小早川隆景像」が所蔵されています。

 静かな山村風景野の中にたたずんだ米山寺は、どこか懐かしく優しい面影があり、掃き清められた境内にはやすらぎをおぼえます。米山寺へ行く途中の山あいに水車小屋がポツンと建っています。中をのぞくと、昔ながらの粉引きの設備があり時代劇を思わせます。

 米山寺を含めて、散歩コースとして見る人の目を楽しませてくれますので、ぜひどうぞ!

山門?の上に鐘があった。 本堂 石造宝筐印塔20基

メル友のぷー太に作っていただきました。

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