近況報告
2002年度 | 12月5日 | わくわくパソコンスクール | |
11月16日 | 結婚式(教え子の堀君と中村さん) | 12月13・14日 | 情報技術科の旅行 |
11月23日 | 紫紺祭(本郷工業高校の文化祭) | 12月24〜26日 | 西山泰先生「追悼展示会」 |
今日の気持ちをいついつまでも・・・ | 米ではなく花びらを!(後の掃除が大変だから?) |
懐かしい校門前 | 定番の「たこ焼き」、うまかった! | 実行委員長自らのお手前 |
久しぶりの指導!つい熱が入る。 | 生徒のアシスタント。孫のような子どもに教えてもらい、みんな無事終了。 |
情報技術科の旅行 12月13日〜14日 岡山県湯郷温泉・武蔵の里
五輪坊館前にある 「青年時代の宮本武蔵像」 |
この神社の神主の太鼓とバチにヒントを得て、武蔵が二刀流(二天一流)を編み出したと言い伝えられています。 |
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後: 岡本・山下・能登・大津賀・近藤・谷 前: 藤若・高橋・私・実政 |
12月25日付けの中国新聞より
西山 美智子
西 山 先 生 の 経 歴 |
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1953年11月11日 | 賀茂郡河内町中河内に生まれる。 | |
1972年 3月 | 本郷工業高校電気科 卒業 | |
1976年 3月 | 広島電機大学(現国際学院大学)電気工学科 卒業 | |
1976年 4月 | 本郷工業高校電気科 勤務 卓球部顧問・中国大会出場を果たす。 | |
1977年 4月 | 東広島市西条中学 勤務 | |
1978年 4月 | 原養護学校 勤務 生徒・教員で音楽活動「キャラバン」を結成。ドラムを担当し、コンサート・レコーディングに奮闘。障害者年にはNHK教育テレビ「広がる教室」に出演する。 | |
1982年 4月 | 本郷工業高校電気科 勤務 ホームルーム担任・卓球部顧問・障解研顧問など歴任 | |
2001年12月30日 | 48歳の人生に幕を閉じる | |
劇 団 の 世 界 | ||
ドラムを叩くと裕次郎以上、「昴」を歌えば谷村新司以上、何事にもとことんがんばった西山先生。近所の老若男女を集め、本郷劇団「やぶれかぶれ」を結成。団員30名をまとめる団長でもあり、脚本・演出も担当。年一回「敬老の日」に中央公民館で上演。また、本郷工業高校の学園祭(紫紺祭)では、担任クラスで劇を演じ、教職員をオダテテ演劇を指導。亡くなられた年の紫紺祭ではPTAに働きかけ、「本郷昔話」を演出・指導する。 |
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第1回 | 「三匹の仕掛人」 | |
第2回 | 「本郷の星」 | |
第3回 | 「家族」 | |
第4回 | 「本郷の次郎長」 | |
第5回 | 「知恵が救った村の危機」 | |
第6回 | 「ごめんなさい」 | |
第7回 | 「昔も今も」 | |
第8回 | 「帰ってきた仕掛人」 | |
第9回 | 「命」(脚本・演出は西山美智子さん) | |
水 墨 画 の 世 界 | ||
高校生のとき、油絵を描いたところ、一教員より「よくない」と言われ、絵は下手だと思っていた。その後、美術部の親友(本岡君)に「うまい、絵を描け」と言われ、独学で油絵を描きはじめる。
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1998年 | 墨粋社展 | 新 人 賞 |
玄画展 | 奨 励 賞 | |
1999年 | 玄画展 | 努 力 賞 |
全国水墨画秀作展(東京) | 入 選 | |
全国公募南九州水墨画展(鹿児島) | 入 選 | |
総合水墨画展(東京) | 秀 作・佳 作 | |
国画院展 入選 | 入 選 | |
2000年 | 全国水墨画秀作展(東京) | 入 選 |
総合水墨画展(東京) | 佳 作 |
「教え子、同僚、そして良き友をしのぶ」