小早川隆景は毛利元就の第三子として、兄の毛利 隆元・吉川元春とともに、毛利氏の発展に尽力した。

隆景は天文十三年(一五四四)に竹原 小早川家の養子となり、ついで、当主が相続いて若死にするなどの不運に見舞われた沼田 小早川氏惣領家の養子として天文19年(1550)にこれをつぎ、ここに沼田 ・竹原両小早川家が合体した。

隆景は天文21年(1552)に高山城から沼田川 対岸の新高山城(豊田郡本郷町)に移り、ここを本拠城とした。

また、隆景は毛利氏の外交担当として将軍足利義昭や織田信長らと交渉を持ち、本城である沼田新高山城よりも三原城にいることが多くなり、「三原の隆景」と言われるようになる。

左が新高山、右が高山(城山とも言う) 春の新高山 秋の新高山
地元では城山と言っている最初にお城が出来た高山。我が家は、この山の麓にあります。 新高山城古絵図 高山城古絵図



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