1968年(昭和43年)

監 督 部 長

 生田 俊幸 ・大下 成二 ・児玉 孝史 ・坂本 良夫 ・高山 博明
 竹玄 守夫 ・手島   譲 ・堂鼻 信雄 ・濱咲 直武 ・渡辺 和幸

木下 和明 平田 博士


 新チーム
 練習試合(夏から秋まで)
0−8 尾道工業 3−8 福山工業 6−6 盈 進 0−10 竹 原
 秋季東部地区大会
 秋季県大会  7−4 三次工業
 練習試合(春から夏まで) 8−2 三原 8−1 尾道北 5−3 府中 2−7 尾道工業
2−1 竹原
 春季東部地区大会 3−2 松永 2−10 竹原
 春季広島県大会 1回戦 7−4 三次工業
 春季広島県大会 2回戦 1−10 崇徳  初のベスト8
 第50回全国高等学校野球選手権広島大会 1回戦 1−2 三次高校 (延長12回)


児玉君と渡辺君


第50回全国高等学校野球選手権広島大会(広島市民球場)
先頭を歩くのは、高岡君・大下君・堂鼻君・坂本君(キャプテン)、その後ろに高山君・竹玄君・坂田君の姿が見える。
エースの堂鼻君 バッター森内君・捕手坂本君・審判平田先生
投球練習場は無し。当然マウンドはありません。バッターは打ってはいけません。タイミングを勉強するのです。




昭和43年の請求書が見つかりました。(もちろん納入済みだと思います?)

江川運動具店は現在ありません。

三原駅下り第1踏み切りを渡ったところにあったと記憶していますが、請求書の
住所は港町となっていますね?。

(踏み切りの近くは、ダイコク堂だったかもしれません。)

試合球が1ダース5400円(現在は1万円します)

バットも金属ではなく、木のバットを使用していました。

練習では安くて折れにくい竹の合板バットを使っていました。

これがバットの真に当たらないと手が痺れること痺れること。特に冬場は大変でした。

夏の大会前には、少ない予算の中から一人一人に木のバットを買いました。

(丁度、3年生の10人分を購入しています。)

ところが試合前の練習でポキリ!泣く思いでした。





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